■当社会長田鎖巖が動物写真家からコネクター製造業へ転身。
1975年宮古市金浜にて、田鎖製作所として電子部品製造を開始。
中古の機械を直しながら、コネクターの製造を行う。
(建屋は2011年3月11日東日本大震災で全壊)
賃加工からモノづくりのステージへ。
1984年株式会社エフビー設立(資本金760万円)。
「田鎖製作所」から「株式会社エフビー」へと名称を改め法人としてスタートを切る。
会社の成長を促進させた生産現場での数々の工夫。
1987年宮古市松山に工場新築移転。(資本金1,500万円に増資)
地味だけれども、絶対に必要なもの。他が嫌がる仕事をあえて受けるようにしていた。
大雨による水害。総額五千万円の被害となる。
1990年閉伊川が増水、氾濫し工場に浸水。
他の会社の方々が応援に駆けつけ、1週間という驚異的な早さで再稼働できた。
人との絆があったからこそ、現在がある。
無人化設備の導入。
1991年成形機の夜間無人運転のため、省力化機器を設備する。
設備は人が使いこなして始めて活きてくる。
コネクターの組立を開始。
1993年組立機が導入され、射出成形と共に2本目の柱としての生産活動がスタート。
組立といっても至ってシンプルな製品で、端子間を短絡させるために使用されるコネクターであった。
本社工場新築移転。
1995年12月8日、山田町豊間根に新工場が竣工。 インサート成形が開始される。この頃から社内での金型起工もスタートした。
この年は、新たな場所、新たな仕事と環境が変化した年だった。
設備の拡充と共に資本を増強。
1996年成形と組立の一貫生産がこの頃始まった。
創業以来、2度目の増資が行われ、増資額は現在の資本金額の5千万円。
2号棟完成。
1997年1号棟の3分の1のスペースで、成形と同じ場所にあった組立を、2号棟へ移し組立工場として稼働した。
今は組立機にインラインとなっているエンボス梱包機を使用していた。
3、4号棟完成。
1999年3号棟はクリーンルーム仕様の組立工場として稼働。
ヒロセ電機様の協力会社としては、初めてクリーンルーム仕様の工場となる。
4号棟はパーティング型や小型成形機の成形工場として稼働。
2000年更なる一貫生産を目指し、1号棟にて端子プレス開始。
また、ISO9001取得。
2005年端子プレス拡張のため工場増設。
ISO14001を取得。
2006年組立工場として6号棟完成。社員数250人を超す。
10月6日、創業30周年記念式典開催。
岩泉工場完成。
各種加工機を設置し高品質、低単価、短納期を目指します。
7号棟建設(2010年12月完成)
1/10000の加工精度を目指します。
7号棟2011年1月より稼働
3月11日に東日本大震災に見舞われるも工場、設備等の被害も軽微であった為、停電復旧後操業する事が出来た。
2015年
8号棟完成
岩泉工場増築
人員の増員に伴い加工機の増設及び岩泉町周辺の雇用促進に貢献します。
2017年 9号棟完成
新たな受注に向け設備増設できるよう体制を整えました。
令和元年 秋の叙勲
令和元年秋の叙勲にて当社取締役会長 田鎖巖 が 旭日単光章を受章いたしました。
功労概要 中小企業振興功労